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育児の孤独さ、過酷さ

虐待のニュースがあるたびに思うことを書いてみようと思います。



虐待の末に死亡、などのニュースがあると
感情的に「なんていう親だ!」「殺すなら産むな!」と思ってしまいがちだけど
自分で育児をするようになってから解る、「孤独さ、過酷さ」が育児にはある。

虐待のリスクは
・核家族
・親の精神的脆弱性
・両親の不仲
・経済的困窮
・育てにくい子供(生まれつき虚弱体質、神経質、障害があるなど)
らしい。

今日び、この全ての項目に当てはまらない家庭なんてあるんだろうかと思う。
自分が虐待されなかったのは、
自分の親が虐待しなかったのは、
「運がよかったから」と思ったほうがいいのではないかという気がする。

ホッキョクグマは育児に適さない飼育環境下では我が子の育児を放棄するか
もしくは我が子を食べてしまうらしい。

人間だって同じなのかもしれない。
周囲の理解やサポートがなく、鬱々と育児をしたならば
虐待やネグレクトをしてしまうのもおかしくはない。

実際、我が子がぐずっていると、イライラする時がある。
もしこのイライラがそのまま子供に向いたら…と
そういう最悪の可能性を考えてはっとすることがある。


虐待の可能性があったら通報する義務が課せられたのは
単に虐待を直接的に減らすという目的とともに
周囲の人間が、子育てをする家庭や子供に関心をもち
日頃から声をかけあうなど気遣うようにして防止するという意味も
あるのではなかろうか。

誰にも相談できずに、誰にも頼れずに育児をする親の孤独と過酷さを思うと
虐待してしまった親が特別なことではないのではないかと考えてしまう。


「虐待するなら産むな」とか「親を同じ目に」は子供を持ったことのない人の意見に
多い印象を受けた。
また子供を持っている人でもそういう意見の人はいたようだけど、
私がそういう人に感じる印象は、「そう思うことのできる余裕がある幸運な人」、だ。

もちろん子供に対する虐待、暴力は私も許せないことだと思っている。
しかし感情論で親を非難したところで、それは事の根本的解決にならない。
虐待する親の背景に何があったのか、どうすれば防げるのか。
そっちを考えたほうが死んでしまった子、そして我が子を苦しめて、殺してしまった、
「柵を越えてしまった」親のためなのではないだろうか。

育児は想像以上に辛いものだし、また、我が子は想像していた以上に可愛いものだと
最近感じる。
誰も子供が産まれる前からそんなことはわからないから
「虐待するなら産むな」は、ちょっとピントのはずれた非難なのかなと思う。


少数派の意見のようなので、こちらにも書いてみました。
虐待親を擁護しているわけではないんですが、非難のみで終わることが恐ろしい気がするので。
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